中村敦夫 [2002年12月10日]
今キューバは、環境保全型農業、有機農業の先進国として世界じゅうの注目を浴びている国なんですね。 実は、一九七四年、私はキューバを訪れております。これは革命十五周年記念のテレビの取材で入ったわけですけれども、そのときにいろいろなキューバの社会状況というのを取材しました。 中でも農業問題では、実は日本人の農業の指導者に会っているんですね。この方は竹内憲治という方でして、当時七十二歳。知人の協力を得てずっと若いときに南米の農業を研究して歩いておりまして、ちょうどキューバに来たときに満州事変なんか起こってお金が途絶えてしまって、そこへずっと居着いてキューバの農業についていろいろな指導的役割をしていまして、四十三年間もその当時で住まれていた方です。 キューバ革命というのは、それまでのバチスタという非常に腐敗した独裁政権が続いていて、キューバの貧富の差が非常に激しくて、子供たちが売春しなきゃいけないような状況になって革命が起きたわけですね。その後、カストロ政権というのは、いろいろなアメリカの利権を制限したものですから、非常に弾圧を食らって、そこへソ連が援助を申し出て、それでは共産主義でもやってみるかというような感じで移行したという国なわけです。 その革命キューバが工業立国にすべきかあるいは農業立国でいくのかという大激論があったわけですね。そのときに工業でやるべきだと主張して工業大臣になったのがあの有名なゲバラなんですが、そんなばかなことをするなといって片方のリーダーになったのがこの竹内という老人なんですね。ゲバラをもう小僧扱いにして、いかにそんなことはできないかということを論破して、それでゲバラは負けて、そしてボリビアに行って単独ゲリラをやっていくという、そういう歴史があって、この老人、なかなか明治生まれの気骨のあるヘミングウェーのような、何というか、容貌をしたすばらしい人だったんですね。 その人が自然農法とかそういうものを研究していたんですが、ソ連が入ってきたことによって、やっぱり大型の工業的な農業を進めるという方向へ路線が転換していって、その方が左遷されて、しかし実験農場を与えられて手厚く保護されていたということがありますが、ところが、ソ連が崩壊していく中で、石油の供給が止まってしまうということが起こりました。 そこ で、流通もあるいは大型機械農業も全然できなくなっていって、九〇年代というのはキューバは大変な食料危機に見舞われたわけですよ。それで、餓死者は出な いにしても、特に一千万ぐらいの都市の中で二百二十万人ハバナ、首都に住んでいて、ここで食料危機がひどくて、栄養失調で失明者が数万人出たというような 大混乱が起きるんですね。しかも、遠くから農産物を運ぶというその石油が止まったわけですからそれもできなくなって、それで政策転換をした。そこから都市農業とかあるいは有機農業とかということで、石油に頼らないそういう農業の振興を始めて、今あらゆる自然農法というものの実験国家として注目を浴びているというのが現状でございます。 考えてみれば、これは何もキューバだけに限ったことじゃなくて、世界じゅうの農業の問題、農業というのは百年の計で考えるべきだと私は考えますが、今世紀中に採掘可能な石油というのはなくなるんですね。あと、平均的に言えば四十年しかないというような状況の中で、すべてのことが変わっていくと思いますが、もう農業もそういう意味で大きな変化がやってくるのはこれは間違いないということで、そういう意味ではこのキューバの実験というのは我々の将来の姿でもあるというふうに私は感じるんです。ちょうどキューバも、カロリーベースの食料自給率というのは四三%ぐらいで日本と似ているところですね。 ところが、有機農業への転換をすると余り資金も要らない、いろんな何というんですかね、そうした複雑なものが要らず、人手でもって生産量も実はそんなに変わらないんだという証明が今できてきているということが大変参考になるんではないかと思います。
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