Ads by Google
- --/--/--(--) -
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
当ブログ更新終了のお知らせ
- 2009/02/18(Wed) -
ブログ更新終了


のお知らせ


玄関06


いろいろと個人的な事情がありまして、当ブログ「二重屋根涼温房システムのエクセルギーハウス」の更新を本日を持って終了させていただきます。

当初の予定は、入居から1年後まででしたので、目標は何とかクリアー出来たと思っています。

当ブログを読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。

今後も当ブログは閉鎖せずに、閲覧可能な状態にしておきますので、家作りの参考になれば幸いです。
この記事のURL | オープンハウス | CM(0) | TB(0) | ▲ top
冬の西日が気持ち良い
- 2009/02/05(Thu) -
2階リビングに差し込む冬の西日です。


冬の西日02
冬の陽射は大歓迎です。



冬の西日03
観葉植物も気持ち良さそうです。



冬の西日04
KOJI も日向ぼっこ



冬の西日01
冬は室内に日が差すと、温かくて気持ち良いです。 


ブログランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
人気ブログランキングにほんブログ村 住まいブログ エコ住宅へ
この記事のURL | オープンハウス | CM(0) | TB(0) | ▲ top
落葉樹が作る冬の日向
- 2009/02/04(Wed) -
公園から撮影した冬のエクセルギーハウス横浜です。

外観13落葉樹の葉が落ちて、建物が良く見えます。



外観12落葉樹のお蔭で、冬は陽射を取り込んで、温かく明るくしてくれます。


立地環境07
夏はこんな感じで、建物は見えません。



ブログランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
人気ブログランキングにほんブログ村 住まいブログ エコ住宅へ
この記事のURL | オープンハウス | CM(0) | TB(0) | ▲ top
雪解け水の不思議な力(藤田紘一郎)
- 2009/01/29(Thu) -

自然との共生で取り戻す健康と安全




異物を排除する衛生感  



藤田紘一郎

ふじたこういちろう

人間総合科学大学教授・東京医科歯科大学名誉教授

1939年旧満州生まれ。
東京医科歯科大学医学部卒業、東京大学大学院博士課程修了。
順天堂大学医学部助教授、金沢医科大学教授、長崎大学教授、
東京医科 歯科大学教授を経て現職。専門は寄生虫学・免疫・感染症学。
著書に『笑うカイチュウ』(講談社1994)、『共生の意味論』(講談社1997)他。



「カイチュウ博士」として知られる藤田紘一郎さんの専門は、寄生虫学と感染症学。
発展途上国をめぐり「水が運ぶ病原体」を研究するとともに、世界の飲料水調査も重ねてきた。
藤田さん曰く、「水は私の永遠のテーマ」なのである。
藤田さんが描く日本の水の未来は、決して明るくはない。
100年後どころか「水道水はもうすでに危ない」と警鐘を鳴らす。
だが、だからこそ今どう考えるか、何をするべきというヒントも、たっぷり語ってくれた。



雪解け水の不思議な力

日本の水事情を考えると、あまり良い未来は予想できないんですよ。

まずはっきりしているのは、このままいけば100年後の降雪量が極端に少なくなること。雪が少なくなれば、雪解け水も少なくなるわけですが、実はこの雪解け水には不思議な力があるんです。

たとえば、植物が根を伸ばすのを早める効果もあります。雪解け水を飲んだ鶏は卵を多く産みますし、牛が飲めば牛乳を多く出すというように、生物を活性化させる。

ただし、雪解け水のこの力は、4日間しかもちません。なぜ雪解け水にこうした力があるのか、どうして4日で消えてしまうのか、それについてはいまも謎のままです。

だ いたい水の構造自体、現時点ではわかっていません。化学の分野では、周期表の同族化合物間では似たような性質を示すのですが、水は例外で、融点も同系列の ほかの物質と比べて極端に高い。水の分子量18から予想される融点は、約マイナス100℃ですが、実際の水の融点は、皆さんがご存じのように0℃です。

つまり水は分子量18よりはるかに大きな分子量の化合物の性質を持っているんです。これは、水が分子量18の物質ではなく、それらが互いに固まって集合体を形成しているんだ、と考えれば説明がつきます。それがクラスター(かたまり)という考え方です。

水は一応H2Oという化学記号で表わしていますけれど、液体の水はH2O分子がつながってエネルギーをやりとりするネットワークのような存在になっています。このネットワークは極めて速い速度で変化していくので、同じ水でも浄水器にかけたり、熱を加えただけでぜんぜん違う構造になってしまう。

雪解け水の場合、雪から水に変るとき、H2O分子の配列が変化して動物や植物を活性化させる構造になるのではないか、といわれているんですが、その証拠はまだつかめていません。

つまり科学的には解明されていないのですが、雪解け水や氷が溶けた水に効果があることは、科学者たちも気づいています。北極で氷が溶けると、そこでプランクトンの増殖が早くなることから発見されたんです。

しかし、日本ではずっと昔から雪解け水の能力は知られていました。そのひとつが、雪解け水を飲むと若返るという「変若水(おちみず)の信仰」。奈良の東大寺で3月13日に行なわれる「お水取り」も、この信仰から始まったものです。

また、山の雪解け水を飲んで若返ったお爺さんが、お婆さんにその話をしたら、お婆さんはたくさん飲みすぎて赤ちゃんになってしまったとか、変若水信仰は御伽噺としても伝えられてきました。

農業に携わる人たちの間でも、「雪少なかれば千害あり」と古くから語られています。雪の少ない年は作物の実りも悪いし、家畜の成長もよくないと、経験的にわかっていたんですね。

ですから、雪解け水は日本人にとって非常に重要な意味を持っています。秋田の女性が美しいのも、新潟米のコシヒカリが美味しいのも、雪解け水の恩恵ではないでしょうか。だとしたら、100年後には、秋田美人も美味しいコシヒカリも、日本から失われてしまうかもしれません。

 

水道水の塩素殺菌効果

美 人や美味しいお米が消えるだけではありません。雪解け水は水道水の水源も潤してきましたが、それも徐々に少なくなっています。すると何が起きるかといえ ば、水源に藻類が非常に増えてしまう。そこに温暖化が加わると、地上の紫外線量が増加して、ますます藻類がはびこります。

これで 何が怖いかというと、藻類は細菌とかウイルスなど病原体の温床なんです。今でも川の底の藻類を調べると、O-157やコレラ菌が休眠しています。O- 157は食中毒を起こす病原性大腸菌ですが、コレラは伝染力も致死率も高い細菌です。藻類が増えると、ますます病原体も増えてきますし、温暖化で水の温度 が上昇すると、今は眠っている病原体が藻の陰からぼつぼつ出てくる。水源が感染症の汚染源になる可能性が高いわけですね。

それを 防ぐためにはどうするかというと、水道水にするときに塩素を加えて処理をしています。日本が水道水に入れる塩素の量は、すでに世界一です。塩素の投入で、 トリハロメタンという発がん性が疑われる物質ができてきます。また塩素によって水が酸性になっているので、中和させるために苛性ソーダまで入れている。ご 存知のように、苛性ソーダは石鹸をつくるときにも使います。これで「高度浄水処理をしました」「害はありません」と言われても、身体にいいわけがないと思 いませんか。

考えてもみてください。殺菌のために塩素が入っているプールに毎日入っていると、爪や髪の毛が痛んできます。その プールの水を薄めて、さらに苛性ソーダを加えたものが、私たちの水道水なんです。水源の汚染がより深刻になりつつある今、「本当に安全な水はどういう水 か」を探ることもせず、さらに塩素を増やすという対策しかない現状は非常に恐ろしい。

 

 

塩素に耐性を持つ病原体

でも、塩素を入れれば安全かというと、そんなことはありません。

も う一つ、恐ろしい話をしましょう。塩素をいくら入れても死なない病原体が、今、日本に増えているんです。ランブル鞭毛虫(べんもうちゅう)とクリプトスポ リジウム。二つともインドやネパール、パキスタンで風土病を起こす原虫で、かつての日本には生息していませんでした。20年ぐらい前まではこの原虫で病気 を起こすのは、インドやネパールに旅行した日本人のうち12〜14%だけでした。

ところが気温が上がった今、これが日本の河川で 生きている。それも南の温かい地域だけじゃないんです。青森から沖縄まで、上水取水地点で調査をしたら、そのほとんどで発見されました。ということは、ラ ンブル鞭毛虫とクリプトスポリジウムが、日本の塩素で殺菌したはずの水道水に含まれているということです。

病原性はクリプトスポ リジウムのほうが強く、すでに被害が出ています。1996年に、埼玉県の越生(おごせ)町で集団下痢症が発生しました。住民1万2000人のうち、1万人 ぐらいがいっせいに下痢をしたんですが、その原因は水道水に混入したクリプトスポリジウムでした。病気や高齢で免疫力が弱まっている人の場合、病原性の高 い原虫が1個でも体内に入ると急激に増えて、死に至る危険もあります。

ランブル鞭毛虫は病原性がそう高くありませんから、軽い下痢を起こす程度。元気な人は、体内に入っても気づかないかもしれない。ただし、原虫に対しては免疫ができませんし、自覚のないまま胆のう炎を起こすこともあるので、やっかいです。

し かもこのランブル鞭毛虫は、三井記念病院で調査したところ、すでに5%ぐらいの都民が体内に持っていることがわかりました。多摩川にもランブル鞭毛虫がい ますから、そこから水道水に入った可能性が高いですね。もちろん加熱すれば原虫は死にますが、日本では水道水をそのまま飲んでいる人もいるので、今後感染 症にかかる人は増えると思います。

 

 

寄生虫、宿主との共生関係

ここまで悲観的な話ばかりでしたが、ではなぜそうなったかを少し考えてみましょう。

そもそも日本は、江戸時代に素晴らしいエコ社会をつくっていました。何でも自給自足して、考え方も暮らし方も人間らしかった。ところが明治維新と太平洋戦争に負けたことで、おかしくなってしまいました。

列 強国の仲間入りをするために、とにかく日本を衛生国家にしようとしたんです。戦前の日本ではコレラが流行したり、回虫やサナダムシに感染している人がたく さんいましたが、まずこれを排除しようとした。『衛生博覧会』を開いて「回虫は脳に入ります。サナダムシは腸管を食い破ります」と国民を脅し、徹底した衛 生管理をしたんです。

でも、回虫が脳に入るなんて、ほとんどあり得ない。1950年には、日本人の62%が回虫に感染していまし たが、そのうち脳に入った人はゼロなんです。たまたま他の病気で亡くなった人を東大で解剖したら、回虫が1匹脳に入っていたので、その写真をポスターにし て、国民に恐怖を植えつけた。日本人は宗教や人種には左右されない代わり、情報操作に弱いので、「危険だ」と言われると極端に排除してしまう。こうして日 本は列強の仲間に入り、『超きれい社会』をつくり上げました。

コレラのような疫病の原因となる病原体を排除するのはいいとして、ヒトと共生関係にある寄生虫まで排除するというのは、非常に不自然なことです。

寄 生虫やウイルス、細菌というとすべて悪者のように思われていますが、それぞれ自分の縄張りの中では、共生関係を保っています。たとえば今大きな問題になっ ている鳥インフルエンザウイルスにしても、もともとはカモの体内に棲んでいるウイルスで、カモには何の悪さもしません。カモの体内で子孫を増やしているの ですから、宿主であるカモを殺してしまっては元も子もないからです。ところが温暖化などの影響でカモの生息地が移り、ニワトリにこのウイルスが入って、ニ ワトリを殺すようになってしまった。

北海道で流行しているエキノコックスにしても同じ。エキノコックスはキタキツネに寄生するサナダムシで、キタキツネには害を及ぼしません。しかしこれが人間に入ると、ひどい目にあう。

つ まり、ヒトにはヒト、ブタにはブタ、クジラにはクジラの寄生虫やウイルスや細菌がいて、本来お互いに共生していたわけです。それを『衛生』の名の下に排除 したり、人間の都合で他の生きものの棲みかを奪うような開発を私たちはしてきた。その結果、先進国の人間は、免疫力が非常に弱くなっています。高度成長期 前の日本人なら、クリプトスポリジウムが体内に入っても、下痢を起こすことはなかったと思います。

一方、人間に排除された生きも のは、子孫を残すために変異や進化を進めている。ニューヨークでは、地下鉄構内の水溜りで越冬している蚊も発見されました。蚊はメスが吸血することで卵を 産みますが、このチカイエカは血を吸わなくても卵を産めるように進化していた。血もいらないし、冬も越せるという、すごい蚊になったわけです。この蚊がウ エストナイルウイルスを運んでいるのですから、恐ろしい話です。

 

 

文明社会の弱体化

右上:藤田さんが見せてくれた写真は、カリマンタン島の子供たちが楽しそうに川で泳ぐ風景。他の3枚:タイの水上家屋のトイレ事情。トタン板で囲った所がトイレで、渡した板にまたぐと下で魚が待ち構える。
 

私 は35年ほど前から、インドネシアのカリマンタン島をたびたび訪れています。この島の町は、川の中に浮かんでいるような状態で、その川がトイレでもあり、 洗濯や洗面、水浴びの場でもある。最初に行ったときは、何て不衛生なところだろう、と思ったものです。なにしろ川では、魚が人間のうんちを食べようと待ち 構えていますし、人間はその魚を毎日食べているのですから。でも、慣れてくると、そんな生活がとても自然に思えてきます。島民は気持ちのいい人ばかりで、 しかもアトピーや喘息、花粉症にかかっている人がまったくいないこともわかってきました。


自分と自分でないもの(非自己=他人)を区別して、自分でないものを排除することで自分の体を守るのが「免疫反応」。体内に侵入した病原菌は、「自分ではな い他人」=抗原として認識され体内から排除されていく。しかし、敵が強力で「マクロファージ(Mφ)」で処理しきれない場合は、侵入者の情報が「Th0 Cell(T細胞)」(寄生虫や花粉のように大きめの抗原はTh2型というタイプが担当)と「B Cell(B細胞)」(免疫グロブリンという抗体をつくる)に伝達されて抗原と闘う。寄生虫がいることでアレルギーが抑えられるのは、寄生虫の尿便に含ま れる2万の物質が抗原情報を伝達する物質にくっついて、結果として抗体をつくらせないからだ


な ぜだと思いますか? カリマンタン島の人たちの体内には、サナダムシなどの寄生虫がいますが、その寄生虫がアレルギー反応を抑えてくれるのです。人の体内に入ったサナダムシ は、そこで生き抜くために、うんちの中に分子量約2万の物質を出して、自分を排除しようとする抗体を変化させてしまいます。こうして変化した抗体が、結果 的に宿主である人間のアレルギー発症を抑制しているのです(左のイラストを参照)。

私も、おなかの中で飼っているキヨミちゃんと名づけたサナダムシのおかげで、花粉症にもかかりません。娘からは「もうやめなさい」と言われていますが、私がこの歳になってもまだキヨミちゃんをおなかに入れているのは、皆さんにメッセージを送りたいからです。

「共 生が大事ですよ」という話には誰も耳を貸してくれませんが、キヨミちゃんの話をすると、「なんでそんな馬鹿なことをやっているんですか?」とか「キヨミ ちゃんは元気ですか?」と聞きにくる人たちが出てきます。その人たちに、「異物を排除してきたからアトピーや喘息が増えたんですよ。これまで清潔で効率的 な環境ばかり追い求めてきたけれど、ここでもう少し自然回帰しましょう」と訴えたいんです。

だって今の日本の社会、悲観的なことだらけでしょ。生まれてくる子供の二人に一人はアトピーや喘息にかかる。40年前には、そんな子供はほとんどいなかったのに。

今の日本人は、精神的にも歪んでいると思います。親を殺したり、変な事件がたくさん起きている。

カリマンタン島では、そんな変な事件、この40年間起きていません。今ではテレビや冷蔵庫はもちろん、携帯電話も普及していますが、島民は相変わらず川にうんちを流しながら、平和に生活しています。

文明社会が生物を弱体化する、とはよくいわれますが、今こそ真剣にそれを考えることが大事だと思うんです。

私たちの細胞は1万年前と同じままだから、そのころの人類のようになりたい。多様な生物を本来の縄張りに戻し、共存しながらもう少し人間らしく生きたいですね。

1万年前と同じことを現代の日常生活に取り入れることは、意外と簡単なんです。1週間に4日は有酸素運動をするとか、肉はあまり多く食べず、穀類、野菜類、豆類、果物を中心とした手づくりのものを食べて、身体に良い水を飲めばいいんです。

 


良い水をみんなで共有

話が水に戻ったところで、日本の水道水がなぜここまでひどくなったかを考えてみると、飲み水があまりに豊富だったからです。世界中でこれだけ飲料水が採れる地域は稀なだけに、かえって粗末にしてしまった。

ヨーロッパでは、飲める水なんてめったに採れません。だからルルドやエビアンといった地域に良い水を発見すると、大事に守ってきたんです。

その一帯を囲い、家畜の糞尿や農薬などが入りこまないよう、環境保全してきた。それを煮沸したり消毒せず、そのままボトルに入れてミネラルウォーターにしています。こういう水が、今非常に大事ですね。

日本でも、100年後の子供たちに良い水を飲んでもらうために、美味しく健康な水を見つけたら環境保全してほしい。

ま だ遅くないんです。現に、岩手県の釜石や山口県の秋吉台などからも、良い水が出ています。釜石は銅の採掘が厳しくなってきたとき、1800mの地底から湧 いている水を調べたら、アルカリ性の軟水で、非常に良い水だった。商品化もされています。日本のミネラルウォーターはすべて加熱や殺菌処理をしていました が、この水は初めてそれをせず、濾過しただけで生のまま世に出た水です。

秋吉台からは、硬度の高い水が出てきました。コレステ ロール値が高い人や脳梗塞の人、心臓の悪い人には、とても良い水です。ところが硬い水は日本人には馴染まないだろうと、薄めて製品化している。コレステ ロールや脳梗塞、心臓が心配な人に向けてそのまま特化すればいいのに、わざわざ万人向けにしているなんて、もったいないですね。

釜 石や秋吉台以外にも良い水は発見されていますが、いずれも大きく水源を確保しようという動きは見られません。水道水を良い水にしようと、水源を守ろうとい う発想がないことも残念です。水道水はやがて、飲むための水ではなく、洗面やお風呂の水としてしか利用できなくなるでしょうね。

で も、水にはまだまだ可能性がたくさん秘められています。例えば、淡水魚も海水魚も棲めるナノ・バブル水というのもあります。この水の中では、金魚とタイが 一緒に泳いでいます。ナノ・バブル水の中にオゾンを入れて、空気中にそれを出したら気道感染を抑えられるのではないか、という研究も進んでいます。

た だしその一方では、怪しげな水もあります。前に言ったように、水の構造自体が解明されていませんから、インチキな化学で水を売ろうとしている人もいるわけ です。でも人間もまた不思議なもので、水自体には効果がなくても「この水で病気が治る」と信じて飲むと、本当に治ることもある。だから学者の言うことなど あまり信用しないほうがいい、というのが私の持論です。

特に、水を商売にしようという考えには賛成できません。良い水を見つけたら、そこをテーマパークのようにして、周囲の環境も守りながら共有していくのが私の理想。美味しくて健康になる水を、みんなで飲みたい。その水でお風呂に入れたら、なお幸せですね。

日本人は健康意識が高いですから、その方向から水に対する関心をもっと深めていけば、100年後の飲み水事情も少しは変ってくるのではないでしょうか。


http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/mizu_26/no26_b01.html





ブログランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
人気ブログランキングにほんブログ村 住まいブログ エコ住宅へ
この記事のURL | エクセルギー | CM(1) | TB(0) | ▲ top
フランス人の『おもひでぽろぽろ』評
- 2009/01/28(Wed) -



フランス人の『おもひでぽろぽろ』評


おもいでぽろぽろ06

『おもひでぽろぽろ』のフランス人評をご紹介。


 フランス語圏で最大かつ最も詳細なジブリ作品総合サイト、BUTA Connectionから翻訳と掲載の許可を頂きました。日本語で大変丁寧な返信がきて驚きました。

 『おもひでぽろぽろ』は、フランス語字幕版DVDが『Omoide poroporo』の題名で今年10月にBuena Vistaから発売。仏題は『Souvenirs goutte à goutte』と呼ばれることも多いようです。

 『おもひでぽろぽろ』の、現在−過去や現実−空想の交換と混濁、郷愁を誘う巧みな演出、味わい深いラスト等は、日本人でなくても心動かされるはず。また、冒頭の小津安二郎風オープニングからして嬉々としてしまうフランス人もいるかも。


〜以下、訳。



『おもひでぽろぽろ』

 タエ子は27歳の都会人。義理の兄の家族がいる田舎に休暇に出かける。仕事に関する心配事を忘れ、彼女は子どもの頃、まだ自分が11歳の1966年に起こった、ちょっとした出来事や思い出で心がいっぱいになる。

  『おもひでぽろぽろ』(« Souvenirs goutte à goutte »)は、過去を通して未来を模索する日本人女性の物語であり、現代を生きるすべての女性の心にも響くものである。スタジオ・ジブリでの高畑作品の中で(少 なくとも欧米では)最も過小評価されている作品だが、知的で繊細な傑作である・・・。



リアリズムと詩情性の間で

  現在のシーンと過去のシーンの間で表現が明らかに異なっている。現在のシーンがほとんどドキュメント映画のように事細かであるのに対し、過去のシーンでは よりパステル調のトーンになり、タエ子の思い出を幻想的に描いている。このドキュメント調の表現は、登場人物のキャラクターデザインだけでなく、綿密に描 かれる背景や、詳細に描かれる山形地方の日常生活にも見ることができる。タエ子が摘む黄色い花、ベニバナの収穫に関しても、農家の人の服装や実際の収穫方 法に忠実に描かれている。この驚くべきリアリズムは、事前になされた多大な研究結果の賜物であろう。

おもいでぽろぽろ01  おもいでぽろぽろ02

 しかしながら、『おもひでぽろぽ ろ』は実写映画を正に超越しており、若い日本人女性の日常を、ただリアリスティックに映像に捉えた映画なのではない。この映画は、アニメーションという方 法を使いながらも、おそらくは実写映画がまず到達できないであろう真に感動的な瞬間を観客にもたらしてくれている。例えば、タエ子が歌い出したり、空を 舞ったり、虹がかかるシーンは詩情に満ち溢れており、これが実写映画であったら悪趣味になったり、滑稽なものになってしまっていたであろう。また、ヒロイ ンである少女を引き立たせるために、高畑はショットやフレームを入念に選んでいる。少女が台詞なしでただ手を動かすシーンでは、この束の間の瞬間だけ時間 が止まったように思え、動きが止まり、ゆったりとしていながらも喚起力のあるこの手の動きに観客の注意が集中させられる。このように、動きのない背景や登 場人物によって最もたやすく力を発揮することができるのがアニメーションなのであり、また特に、安っぽい手法や節操のないアクションシーンを使うことな く、単なるジェスチャーと巧みなシーンによって感動を呼び起こすことができる、ということをよく理解していた高畑の才能によるものである。



ノスタルジックな映画?

  『おもひでぽろぽろ』は、単にタエ子の幼少期をノスタルジックに描く映画なのではない。幻想的な面の裏には、社会的・文化的背景が横たわっている。若い女 性の過去に対するまなざしを通して、監督は戦後日本の変化を描いている。この変化というのは、1960年代に爆発的に進行した西洋化であり、それ以来今も それは続いている。しかしながら、この現代日本社会の変化は過激なものではなかったし、危機をもたらすものでもなかった。

 事実、高畑は 過去に対して単にノスタルジックなまなざしのみを向けているわけではない。例えば彼は60年代に典型的な家族を我々に見せてくれている。そこには、極めて 強大な父親の権威に押し潰されそうになることもある母親、愛すべき人間であるが娘たちに対してはあまりに堅くてあまりに頑固なこともある父親、そして時に 横暴になることがある姉たちがいる。家族関係はまだ変化しておらず、女性が限定的な決定権しか持たされていない社会の、あらゆる束縛がそこに見てとれる。 独身のタエ子はマイナスの印象を持たれており、若い女性は自分の意見を自由に言うことができず苦しんでいるように見える。高畑の映画は全く牧歌的なもので はない。この監督は、なにより日本の社会的変化と一定の伝統や風俗の存続を物語ろうとしているように思われる。

おもいでぽろぽろ03

 さらに高畑は、近代化の 特徴も見逃してはいない。トシオが強調しているように、東京の住人は自然を人間に脅かされたことのない手つかずのものと理解するが、田舎の住人は何世紀も かけて人の手によって作り上げられた風景であって本来の自然ではないことを知っている。正にこの話によって、監督があらゆる過度の単純化や二元論のような 紋切り型の結論を退けようとしていることがわかる。監督はなにより40年前の日本社会が被った、ポジティヴな面もありネガティヴな面もある、急激な変化を 認識しようとしているのである。従って高畑は、『おもひでぽろぽろ』の中で日本社会の進歩をテーマにしているのではなく、日本がその急激な変化によって自 らのアイデンティティを失いかねないという点を扱おうとしているのである。近代化や過去の軽視に関する監督のこの問題関心は、正に次作『平成狸合戦ぽんぽ こ』に通じるものである。



思い出

 高畑は、社会学的な検討を加えるためにだけ、現代 のシーンを加えたわけではない。この映画は、アニメーション映画の中で今までにないスケールでの心理的描写を行っている。この映画の演出によって、一人の 人間にとって過去の思い出が現在にどれほどの影響力をもっているか、ということが示されている。成人したタエ子の運命は、子どもの頃のタエ子のエキセント リックで、自己中心的で、夢見がちな行動の結果として、まるでカルマのように、定まってしまったかのように見える。思いがけなくも、この27歳の女性は たった11歳の時のエピソードを思い出す。「どうして11歳なの?」と彼女は自問する。それは、移り気で自己中心的な子どもが、他者との間で自分の人格 や、社会における自分の役割についての信条を持ち始める年齢が11歳だからである。

 高畑は、タエ子の思い出が断片的な記憶のフィルター によって美化され、選別されていることを巧みに示している。60年代の人物の描き方は、柔らかで単純化されている一方で、80年代の人物の表情は時に堅 く、皺が多い。昔のアニメーション[*訳注=『ひょっこりひょうたん島』?]が登場したり、パイナップルの味を初めて知った場面のような、いくつかの思い 出がノスタルジックに炸裂する。しかし、子どもの頃のタエ子の思い出すべてがノスタルジックなのではない。逆にいくつかの思い出はちょっとしたトラウマに さえなっており、むしろつらい思い出として成人した今でも大きな影をひいている。そのような思い出によって彼女は、他人を見る目や他人との接し方につい て、自分が今も子どもの頃のタエ子と変わっていないことを少しずつ自覚するのである。

 この意味で、トシオと結婚して農家に残ってほしい というおばあさんの提案は、タエ子の問題を再び引きずり出すことになる。都市よりも田舎での生活が好きだと誰彼となく繰り返し言い続けてきた彼女は、自分 の人生を一変させる覚悟を全くしていないことに気付かされるのである。

 「農家の嫁になる。思ってもみないことだった。そういう 生き方が私にもありうるのだというだけで、不思議な感動があった。『あたしで良かったら・・・』いつか見た映画のように素直に言えたらどんなにいいだろ う。でも言えなかった。自分のうわついた田舎好きや、真似事の農作業が、いっぺんに後ろめたいものになった。厳しい冬も、農業の現実も知らずに、『いいと ころですねぇ』を連発した自分が恥ずかしかった。私には何の覚悟もできていない。それをみんなに見透かされていた。居たたまれなかった。」

  この状況はタエ子が[今も]自分を恥じいってしまう、小さい頃のあるエピソードと共鳴する。貧乏で不潔なクラスメート、アベのことである。同級生はみな彼 のことを嫌っていたが、席が隣同士になったタエ子は特に嫌悪感を募らせていた。しかし他の生徒とは違い、彼女はアベのことを決して悪くは言わなかった。し かしながら、アベが転校する日に、先生が生徒全員と握手をするように言ったところ、アベはタエ子との握手を拒否した。「お前とは握手してやんねーよ!」大人のタエ子は次のように考えて納得していた。

おもいでぽろぽろ04

 「アベくんのこと一等汚いと思ってたのはあたしだったのよ。アベくんはね、そのこと知ってたの。だから握手してくれなかったんだわ・・・。」

  タエ子がこの思い出をトシオに話したとき、彼はアベがタエ子に対して何か思う所があったに違いないと考えた。しかしトシオはその考えを押し付けようとはせ ず、タエ子を落ち着かせようとする。彼は議論を通して、アベに対するタエ子の罪悪感を払拭させてくれる。タエ子はここで自分の感情を問いかけ始める。

 「私 は、自分がトシオさんをどう思っているのか、トシオさんが私のことをどう思っているのか、初めて考えようとしていた。偶然とは言え、私のひねくれた心をほ とんどトシオさんに解きほぐしてもらうなんて、どうしてこれほどトシオさんに甘えることができたのか、不思議だった。トシオさんが、私より年上に見えた。 私が、今握手してもらいたいのは、トシオさんだった。握手だけ・・・?この気持ちは何なんだろう・・・?トシオさんをそばに感じながら、私は一心に考え続 けた。」

 タエ子は、自分で選択しなければならない人生の岐路に立っている。「一番良い選択とは何なのか?現状のまま生き続け ることなのか?」タエ子はここに至るまで、自分の心の声と心の奥底にある願望に耳を傾けることなく、自分の気ぜわしい都会の生活をなすがままに生きてき た。田舎に身を置くことで、タエ子は別の生き方や別の人生の楽しさが田舎の微笑みの背後に隠れていることに気付き始める。映画はタエ子が自分の人生に関し て初めて取った重要な選択に関するシーンで終わるが、それは深い内省を経て不安と希望で一杯になった直後のことである。こうして彼女は、会社勤めを辞めて 農業従事者として生きようと歩み始めたばかりのトシオと、共に歩んでいくことになる。



エンディング


  タエ子の個人的な選択を演出するこの映画のエンディングは、心を大きく揺さぶり、観客の頭と心の中に長く余韻を残す。高畑の技量は、タエ子の決断をエン ディングに滑り込ませたところにある。ここで観客は、この映画がこれで終わり、タエ子は自分の心に耳を傾けることなく、おとなしく自分の家に帰ってしまう のだ、と考える。当然その様な終わり方は、タエ子に感情移入し、タエ子が田舎に残る選択をとることを密かに望んでいた人にとっては幾ばくかほろ苦いラスト ということになる。

おもいでぽろぽろ05


 しかし、映像が進行し、このエンディングにおいて正にヒロインがついに自分の心に耳を傾け、そして重大な決意をする シーンであることが明らかになる。少女時代のタエ子だけでなく、その友人たち全員が大人のタエ子を取り囲む。彼らはもはや記憶の奥底で失われてしまった思 い出なのではない。まるでタエ子が自分の過去と和解し、本当の自分、そして自分の願いを正面から受け止めたかのように、子どもたちはタエ子を取り囲みなが ら走る。この数分間が、過去と現在を和解させながら未来を示唆する、この映画の本当のラストである・・・。極めて巧みなことに、高畑はタエ子の実際の未来 を明らかにはしていない。タエ子がトシオの許に戻ったのはわかるが、彼女が彼と結婚したか、そして日本の田舎で彼と一緒に暮らしたのかは全く明らかになっ ていない。この物語の続きを書き、タエ子の未来を選ぶのは観客であり、この点が大げさであからさまなハッピーエンドよりも大きな感動を呼ぶのである。

  高畑独特の映画的感性はこのシーンとこの映画で、スタジオジブリの作品に特徴的な魅力と感動をいささかも失うことなく、再びその頂点に達した。結論とし て、『おもひでぽろぽろ』は、最終的に最も美しい物語とはおそらく個々の人間がそれぞれに持っている物語それ自体である、ということを訴える比類のない傑作である。


〜訳、終わり。
http://un-peu-bizzare.seesaa.net/article/73034421.html

昨日(2009年1月27日)、レンタルDVDで
『おもひでぽろぽろ』夫婦で見ました。
2度目です。1991年公開のジブリアニメですから、かなり久しぶりで、ほとんどのシーンを忘れていました。

私の感想は
田舎の風景が生き生きしていてとても綺麗で、
私はタエ子と同世代と言うこともあって、懐かしさを感じました。
今回のほうが好印象でした。いい映画だと思います。




ブログランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
人気ブログランキングにほんブログ村 住まいブログ エコ住宅へ
この記事のURL | 勉強になるBLOG/HP | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン | 次ページ